Grandpa and the Box
祖父と箱
七十八歳になる祖父が、先月、スマートスピーカーを買ってきた。きっかけは、近所の電器屋の店員に「話しかけるだけで、何でもやってくれますよ」と言われたことだそうだ。祖父はその一言を、疑うこともなく、そのまま信じてしまったらしい。
箱が家に届いた日、祖父は居間の真ん中にきちんと正座して、箱に向かって深々と頭を下げた。「ほんじつより、お世話になります。田島と申します」とあいさつしたのである。僕は台所で麦茶を飲んでいたが、思わず吹き出しそうになった。機械に自己紹介をする人を見るのは、生まれて初めてだったからだ。箱は青い光をくるくる回してから、「すみません、よく聞き取れませんでした」と答えた。
「聞こえなかったそうだ。この箱は、耳が遠いのかもしれない」 祖父は真顔でそう言うと、今度はさっきの倍の大声で、同じあいさつをやり直した。もちろん、箱の答えは同じだった。自分の耳が遠いことは棚に上げて、すぐに相手のせいにするところが、実に祖父らしい。
説明書を読めば、使い方などは五分で分かる。しかし、祖父のことだから、説明書を読むはずがない。祖父は、箱を新しい同居人だと決めてしまったようで、その日から、ありとあらゆる用事を、箱に頼み始めた。
翌朝六時、祖父は箱に向かって「おはよう。茶を一杯、頼む」と言った。箱は「お茶についての情報を探しています」と答えた。そして、お茶の歴史を三分間も話し続けたが、熱いお茶はいつまでたっても出てこない。祖父は怒ることなく、腕を組んだまま、さいごまでじっと聞いていた。 「なるほど。勉強にはなったが、喉は渇いたままだ」 けっきょく、お茶は祖母が入れてくれた。
昼になると、祖父は箱に今日の天気を聞いた。箱が「今日の天気は晴れです」と答えたので、祖父は縁側に出て空を見上げたが、どう見ても空は曇っている。 「この箱は、嘘をついているぞ。曇りの日に晴れなんて、当たりっこない」 言うまでもないが、箱は嘘をついたわけではなく、祖父の言い方に一番近い名前の遠い町の天気を、しんせつに教えてくれただけだった。それを知らない祖父は、一日じゅう箱の悪口を言っていた。
夕方には、さらに大きな事件が起きた。祖父はラジオ体操の音楽を流してほしいと頼んだのに、箱は、なぜか演歌を流し始めたのだ。祖父はおどろいたものの、すぐに曲に合わせて腰を振って踊り出した。「悪くない。体操の代わりに、これでじゅうぶんだ」と言うのだ。その姿が、あまりにもうれしそうだったので、僕は笑いをこらえることなく、床を叩いて大笑いした。台所から出てきた祖母も、肩を震わせていた。
その夜、僕が部屋で勉強していると、居間から話し声が聞こえてきた。祖父が、箱とけんかをしているらしい。 「いいか。お前は、最初から人の話を聞いていない」 「すみません、よく聞き取れませんでした」 「ほら見ろ、また逃げる」 祖父は、箱のへんじを、つごうのいい言い訳だと思っているようだ。しかし、よく考えてみれば、人間の同居人だって、話を聞いていないことは多い。祖父自身が、そのみほんのような人なのだから、おかしな話である。
三日目になると、祖父は少しもあきらめることなく、ついに本気のくふうを始めた。声が小さいから聞こえないのだと考えた。そこで、毎朝庭に出て、近所じゅうに響くほどの声で箱に話しかけたのである。ところが、箱は家の中にあるので、庭からの声に答えるはずがない。見かねた隣の奥さんが、そっと僕に尋ねた。 「お宅のおじいさん、ずいぶんお元気になったわね。いったい誰と話しているの」 「箱です」 僕には、そう答えるしかなかった。
一週間がたつころには、祖父と箱の関係は、少しずつ変わってきた。祖父が話し方を変えたのだ。短く、はっきり、ひとつずつ話すようにしたところ、箱はいがいにもちゃんと答えるようになった。 「天気」 「今日の東京の天気は、くもりです」 祖父はまんぞくそうにうなずいた。「やっと話が通じた。俺の根気が勝ったな」と胸を張った。箱の立場から見ると、勝ったのはおそらく祖父の滑舌だろうが、僕の目から見ると、笑える光景だったが、それを口に出すことはしなかった。
ある夜、居間の電気がついたままだったので、僕がようすを見に行くと、祖父がひとりで箱の前に座っていた。 「おやすみと言ってやろうと思ってな」 祖父は小さな声でそう言った。そして、「おやすみ」と箱に呼びかけた。青い光がゆっくり回って、「おやすみなさい」と返ってきた。祖父は、うれしそうに目を細めて、「聞いたか。あいつ、ちゃんとへんじをしたぞ」と僕に言った。 箱がへんじをしたのは、機械が正しく動いたからにすぎない。返事をしたからといって、箱が祖父の話を理解したということにはならない。それでも、祖父にとっては、たいせつな友人ができた夜だったのだろうと思うと、笑ってばかりいてはいけない気がした。
次の朝、祖母が僕に小声で言った。祖母のことだから、何か考えがあるのだろう。 「実はね、昨日の夜、おじいさんが私に『あの箱は、お前よりもへんじがいい』って言ったのよ。だから私も、箱に頼んでおいたの。おじいさんに、お茶の時間を教えてあげてってね」 その日の午後三時、居間から箱の声が聞こえた。 「お茶の時間です」 祖父ははっとして立ち上がり、台所に向かって叫んだ。 「おい、お茶だ。箱が言っているぞ」 台所で、祖母は肩を震わせて笑っていた。
こうして、祖父は箱に従う生活を、すっかり気に入ったようだ。ただし、それで箱が賢くなったということにはならない。今朝も祖父は、箱に向かって堂々と言っていた。 「今日の予定を、ぜんぶ教えてくれ」 箱は、いつもの青い光を回して、静かに答えた。 「すみません、よく聞き取れませんでした」 祖父は深くうなずいた。 「そうか。お前も、予定がないのか」
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
祖父がスマートスピーカーを買ったのは、なぜですか。
He believed the clerk's claim. 「話しかけるだけで、何でもやってくれますよ」
Q2
「祖父のことだから、説明書を読むはずがない」と言えるのは、なぜですか。
〜ことだから: the narrator knows his character. 「しかし、祖父のことだから、説明書を読むはずがない」
Q3
箱が「今日の天気は晴れです」と答えたのに、空が曇っていたのは、なぜですか。
The box gave the weather for a faraway town with a similar name. 「祖父の言い方に一番近い名前の遠い町の天気を、しんせつに教えてくれただけだった」
Q4
「それで箱が賢くなったということにはならない」と言っているのは、なぜですか。
〜ということにはならない corrects a hasty conclusion: grandfather's liking it proves nothing about the box. 「ただし、それで箱が賢くなったということにはならない」
Q5
一週間がたつころ、箱がちゃんと答えるようになったのは、なぜですか。
He changed how he spoke. 「短く、はっきり、ひとつずつ話すようにしたところ、箱はいがいにもちゃんと答えるようになった」
Words in this story
Tab-separated, two columns. Paste into Anki.
祖父 そふ — grandfather 居間 いま — living room 正座する せいざする — to sit formally on one's knees 自己紹介 じこしょうかい — self-introduction 棚に上げる たなにあげる — to ignore one's own faults 縁側 えんがわ — veranda 演歌 えんか — enka, sentimental Japanese ballad 滑舌 かつぜつ — diction, clear pronunciation 根気 こんき — patience, perseverance 従う したがう — to follow, obey
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
に向かって(にむかって)
toward; facing
箱に向かって深々と頭を下げた。
ことだから
knowing (person) as they are; since it's him
しかし、祖父のことだから、説明書を読むはずがない。
ことなく
without ever doing
祖父は怒ることなく、腕を組んだまま、さいごまでじっと聞いていた。
っこない
no way; definitely cannot
曇りの日に晴れなんて、当たりっこない」
ものの
although; true, but
祖父はおどろいたものの、すぐに曲に合わせて腰を振って踊り出した。
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