The Bookmark from the Used Bookshop
古本屋のしおり
土曜の午後、わたしは駅から少し離れた古本屋に入った。狭い店の中は、天井まで届く棚ばかりか、床にまで本の山があり、歩くたびに紙とほこりの匂いがした。
目当ての本があったわけではない。ここ数か月は仕事に追われ、本を読む時間さえなかっただけに、背表紙を眺めているだけで気持ちが落ち着いた。一時間ほど歩きまわったあげく、手に取ったのは、表紙の角が丸くなった一冊の文庫本だった。港町を舞台にした古い小説で、値段は三百円だった。
家に帰って開くと、百四十二ページのところに、細長い紙が挟まっていた。しおりだった。市販のものではなく、白い画用紙を切って作ったらしく、端は少し茶色くなっている。万年筆の青いインクで、小さな字が書いてあった。
「十月九日、窓側の席。続きは、また来週。」
日付に年は書かれていない。だが、紙の色やインクのにじみ具合からすると、少なくとも十年は前のものだろう。ページをめくってみると、前の持ち主は鉛筆で線を引きながら読んだらしく、百四十二ページまでは、ところどころに薄い線や小さな書きこみがあった。書きこみは線ばかりか、短い感想まであった。線はどれも、定規を使ったようにまっすぐだった。几帳面な人だったのだろう。特に、港で主人公が母親の手紙を読む場面には、二重に線が引かれていた。ところが、そのあとは一本の線も見つからない。続きを読まなかったのか、あるいは線を引かずに読んだのか。
「窓側の席」とは、どこの席のことだろう。しおりを裏返すと、隅にさらに小さく、「喫茶ふじ」と読める文字があった。調べてみると、その店は古本屋から歩いて十分ほどのところに、今もあった。
翌日の日曜、わたしはその店に行ってみた。小さな喫茶店で、四十年続いている老舗だけのことはあって、壁も椅子も使いこまれて、落ち着いた色になっている。窓側の席に座り、コーヒーを頼んで、買ってきた本を開いた。コーヒーは苦くて、少し酸っぱかった。窓の外には、小さな公園と、葉の落ちかけた桜の木が見える。ここで毎週本を読んだ人は、何を見ていたのだろう。
会計のとき、店主の女性にしおりを見せると、彼女は目を丸くした。
「これ、うちのお客さんの字だわ。毎週土曜日、必ず窓側に座って、本を読んでいた方がいたの。」
「その人は、今も来ますか。」
店主は、ゆっくりと首を横に振った。
「三年前に体を悪くして、娘さんの家の近くに引っ越されたのよ。読書家だっただけに、本を手放すのはつらかったと思うわ。引っ越しの前の週も、いつものように来て、『続きは、また来週』と言っていたのに。」
三年前、という言葉に、わたしは少し驚いた。紙の色から考えて、もっと古いと思っていたからだ。推理の年数だけが外れていた。しおりの茶色は、窓側の日ざしのせいだったのかもしれない。
「本は、引っ越しのときに整理したのね。娘さんが、古本屋さんに持っていったんでしょう。」
店主はそう言って、窓の外を見た。
わたしは席にもどって、百四十二ページから読み始めた。本の中の港町は、雨が多くて、船の音がいつも遠くから聞こえた。不思議なことに、薄い線のないページを読んでいても、前の持ち主の横顔が、すぐそばにあるような気がした。線が百四十二ページで止まっているのは、その人がそこで本を閉じたまま、二度と開かなかったからだ。わたしは、そう考えることにした。ページをめくるたびに、窓の外の光が少しずつ傾いていった。店主は何も言わず、水のおかわりを置いて、また奥へもどっていった。
夕方、わたしは最後のページを閉じた。結末は、静かだった。主人公が、出ていく船をただ見送る。それだけの終わり方だった。三百円とは思えない。長く読まれてきた本だけのことはある、と思った。
わたしはしおりの裏の、青い字の下に、自分のペンで一行書いた。
「読み終えました。いい終わり方でした。」
「もし、またいらっしゃったら、渡してもらえますか。」
店主は、少し迷ってから、うなずいた。
「来るかどうかは、わからないけれど。預かっておくわ。」
しおりは、レジの引き出しにしまわれた。わたしは本だけを持って、店を出た。三百円の文庫本が、来たときよりも少し重く感じられた。
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
古本屋で、「わたし」の気持ちが落ち着いたのは、なぜですか。
After months of overwork with no time to read, just looking at spines was soothing. 「ここ数か月は仕事に追われ、本を読む時間さえなかっただけに、背表紙を眺めているだけで気持ちが落ち着いた。」
Q2
「わたし」が、前の持ち主を「几帳面な人だったのだろう」と考えたのは、なぜですか。
All the pencil lines looked ruler-straight. 「線はどれも、定規を使ったようにまっすぐだった。」
Q3
「推理の年数だけが外れていた」とは、どういうことですか。
The slip looked a decade old, but the owner had actually moved only three years ago. 「推理の年数だけが外れていた。」
Q4
線が百四十二ページで止まっていることを、「わたし」はどう考えることにしましたか。
She decided the owner closed the book there and never reopened it. 「線が百四十二ページで止まっているのは、その人がそこで本を閉じたまま、二度と開かなかったからだ。」
Q5
「わたし」がしおりの裏に一行書き足したのは、どんな気持ちからですか。
She wants to tell the owner that the unfinished story has been read to the end. 「読み終えました。いい終わり方でした。」
Words in this story
Tab-separated, two columns. Paste into Anki.
古本屋 ふるほんや — used bookshop 文庫本 ぶんこぼん — pocket paperback 背表紙 せびょうし — spine of a book 挟まる はさまる — to be tucked in, caught between 万年筆 まんねんひつ — fountain pen 書きこみ かきこみ — note written in a book 結末 けつまつ — ending 喫茶店 きっさてん — cafe 店主 てんしゅ — shop owner 読書家 どくしょか — avid reader 手放す てばなす — to part with 預かる あずかる — to look after, keep for someone
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
ばかりか
not only A but also B
天井まで届く棚ばかりか…
だけに
precisely because; all the more since
本を読む時間さえなかっただけに…
あげく
after a long struggle, in the end (usually a bad outcome)
一時間ほど歩きまわったあげく…
からすると / からすれば
judging from; from the standpoint of
だが、紙の色やインクのにじみ具合からすると、少なくとも十年は前のものだろう。
あるいは
or; alternatively; possibly
続きを読まなかったのか、あるいは線を引かずに読んだのか。
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