The Spare Key Shop
合鍵の店
駅前の商店街の端に、小さな鍵屋がある。間口は一間ほどで、看板の「合鍵」の字は雨に洗われて、半分消えかけている。
父の家を売ることが決まったのは、先月のことだった。買い手の会社に鍵を渡す前に、合鍵を一本だけ作っておきたかった。いつ必要になるかは分からないし、何より、あの家の鍵を完全に手放してしまうのが怖かった。
店には、七十近いと思われる店主が一人で座っていた。いわゆる職人の顔つきで、こちらが挨拶をしても、目は手元の小さな部品から離れない。
「合鍵を一本、お願いします」
差し出した鍵を、店主は黙って受け取った。かと思ったら、拡大鏡を目に当てて、長いあいだ鍵の歯をじっと見つめている。
「古い鍵ですね。かなり使いこまれている」
「父が三十年、毎日使っていました」
「だろうな。ここがすり減っているでしょう。右から三つ目の歯。毎日同じ角度で、同じ力で回していたんだ。鍵を見れば、持ち主のくせが分かる。いわゆる『鍵の顔』というやつだ」
そう言われても、わたしには、ただの古い金属にしか見えなかった。けれども店主は、父をよく知っているかのように、少し笑って続けた。
「几帳面な人だったんだろう。乱暴な人の鍵は、こんなに均等には減らない」
わたしは何も答えられなかった。たしかに父は、玄関の前で必ず一度立ち止まり、鍵を静かに差しこむ人だった。子どものころ、あの金属の音が聞こえると、「帰ってきた」と思って玄関まで走ったものだ。
母が亡くなってからの十年、父は一人であの家に住み続けた。電話をするたびに「何も困っていない」と言っていたが、冬に階段で転んで入院してからは、さすがに一人暮らしを続けるわけにはいかなくなった。今は施設で暮らしている。歩くのもおぼつかない父に鍵を持たせたら、どこかで落としかねない。そう思って、わたしは病室で預かってきたのだ。かと思えば、父は退院が近づくと、毎晩のように電話をかけてきて、「鍵は持っているか」と聞いた。
店主は、奥の機械の前に座った。まるで時間が止まったかのように、店の中は静かだった。鍵の歯をなぞる細い針が動くたびに、新しい金属の板が削られていく。細かい銀色の粉が、光の中を静かに舞った。
「新しい鍵を作るのは簡単だ。ただ、古い鍵のくせまでは写せない。まったく同じに削ると、かえって回りにくくなりかねない。だから、少しだけ手で調整する」
「そこまでしていただかなくても、ほとんど使わないと思います」
つい、そう言ってしまった。売る家の鍵に、そんな手間をかける甲斐があるのだろうか。店主は手を止めずに答えた。
「使う、使わないは関係ない。作るからには、ちゃんと回る鍵にする。それがこっちの仕事だ」
その言い方がぶっきらぼうだったので、かえって胸にしみた。
待っているあいだ、わたしは店先の棚を眺めた。古い南京錠、壊れた自転車の鍵、持ち主の分からない鍵が、箱の中に山のように入っている。取りに来なかった忘れ物らしい。
「全部、お客さんが置いていったものですか」
「ああ。取りに来る人は、半分もいない。作った甲斐がないと思う日もある。だが、たまに十年たってから、泣きながら取りに来る人もいる」
店主はそれだけ言って、また作業に戻った。
やがて、小さな音がして機械が止まった。店主は新しい鍵を手に取り、やすりで何度か角をなでてから、わたしに差し出した。
「試してごらん。そこの試験用の錠に」
鍵を差しこんで回すと、かちりと軽い音がした。思わず息を止めた。泣きそうになるかと思ったら、不思議なことに、気持ちはとても静かだった。玄関に立つ父の背中が、そこにあるかのように浮かんで、すぐに消えた。
「ちゃんと回ります。ありがとうございました」
「古いほうの鍵は、お嬢さんが持っておくといい」
「でも、家は人に渡すことになりました」
「錠は、買い手の会社が新しく替えるさ。この古い鍵は、お父さんの暮らしを三十年開けてきた鍵だ。簡単には手放せないよ」
代金を払うとき、店主が初めてわたしの目を見た。
「手をかけた甲斐があった。いい鍵だ」
店を出ると、商店街の電灯がちょうどつき始めたところだった。わたしは、古い鍵と新しい鍵を一つの輪に通して、鞄の内ポケットに入れた。もう開けることのない玄関の鍵なのに、手のひらに置くと、不思議と重さがちがって感じられた。
家の鍵は渡す。それでも、この二本は、これからもわたしが持っていようと思った。
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
「私」が合鍵を作っておきたいと思ったのは、なぜですか。
The house was being sold, and she was afraid to part with its key completely. 「何より、あの家の鍵を完全に手放してしまうのが怖かった」
Q2
店主が「回りにくくなりかねない」と言ったのは、なぜですか。
〜かねない means 'might end up in a bad result.' An exact copy ignores the old key's wear. 「まったく同じに削ると、かえって回りにくくなりかねない」
Q3
店主が「使う、使わないは関係ない」と言ったのは、なぜですか。
He believes that if he makes a key, it must turn properly; that is his job. 「作るからには、ちゃんと回る鍵にする。それがこっちの仕事だ」
Q4
「泣きそうになるかと思ったら、不思議なことに、気持ちはとても静かだった」で、「かと思ったら」が使われているのは、なぜですか。
It shows a sudden contrast between what she expected and what happened. 「泣きそうになるかと思ったら、不思議なことに、気持ちはとても静かだった」
Q5
店主が、古い鍵は「私」が持っておくといい、と言ったのは、なぜですか。
The old key opened her father's life for thirty years and is not easy to give up. 「お父さんの暮らしを三十年開けてきた鍵だ。簡単には手放せないよ」
Words in this story
Tab-separated, two columns. Paste into Anki.
合鍵 あいかぎ — spare key 商店街 しょうてんがい — shopping street 店主 てんしゅ — shop owner 職人 しょくにん — craftsperson 拡大鏡 かくだいきょう — magnifying glass すり減る すりへる — to wear down 几帳面 きちょうめん — meticulous 均等 きんとう — even, equal 手放す てばなす — to part with 調整 ちょうせい — adjustment ぶっきらぼう ぶっきらぼう — blunt, curt 施設 しせつ — facility, care home
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
いわゆる
so-called
いわゆる職人の顔つきで、こちらが挨拶をしても、目は手元の小さな部品から離れない。
かと思ったら(かとおもったら)
just when; no sooner than
かと思ったら、拡大鏡を目に当てて、長いあいだ鍵の歯をじっと見つめている。
かのように
as if; as though
けれども店主は、父をよく知っているかのように、少し笑って続けた。
何も~ない(なにも~ない)
nothing; not at all (nani mo ... nai)
わたしは何も答えられなかった。
ものだ
used to; it's the way things are (nostalgia, general truth)
と思って玄関まで走ったものだ。
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