After the Last Train
終電のあとで
残業が長引いたせいで、終電を逃した。
改札の前で時計を見たとき、すでに電車は行ってしまったあとだった。タクシーに乗れば五千円はかかるだろう。明日は休みだし、家まで歩けない距離でもない。そう考えて、わたしは歩いて帰ることにした。
十二月の夜は、思ったより冷えていた。駅前の明るい通りを抜けると、人通りはほとんどなくなり、自分の靴の音だけが響く。いつもは電車の窓から見ているだけの町を、こうして歩くのは初めてだった。閉まったシャッターの並ぶ商店街、灯りの消えたパン屋、道の真ん中で眠っているように見える猫。昼間の顔とはまるで違う町が、そこにあった。
途中、二十四時間開いているコンビニの前を通り、温かい缶コーヒーを一本買った。店員は眠そうな顔で、「寒いですね」と言った。それだけの会話なのに、なぜか少しほっとした。川沿いの道では、水の音がいつもより大きく聞こえた。電車の中では気づかなかったことが、歩いてみると、いくつも見えてくる。
住宅街に入ってしばらくすると、細い坂道の途中に、小さな鳥居があるのに気づいた。
毎日、同じ道を通っているはずなのに、一度も見たことがない。家と家のあいだに挟まれるように、石の階段が五、六段あるだけの、ごく小さな神社だった。昼間なら、きっと見過ごしてしまうだろう。階段の上には、紙の提灯がひとつ下がっていて、弱い光が、ゆれもせずに石の道を照らしていた。
不思議と、足が止まった。疲れていたからかもしれない。わたしは階段を上がり、短い参道を歩いた。社は、両手を広げれば届くほどの大きさしかない。それでも、賽銭箱の前の砂利は、きれいに掃き清められていた。誰かが毎日、手入れをしているのだろう。
財布を探ると、五円玉が一枚だけ出てきた。投げ入れても、思ったほど大きな音はしなかった。手を合わせたが、何を祈ればいいのかわからない。仕事のこと、これからのこと、考えることはたくさんあるはずなのに、頭の中が不思議なほど静かだった。ふだんは、帰り道でも明日の仕事のことばかり考えているのに、その夜は、缶コーヒーの温かさと、水の音だけが残っていた。結局、「今日も一日、無事に終わりました」とだけ心の中で言って、頭を下げた。
そのとき、風もないのに、提灯の光がふっとゆれたような気がした。ゆれた、というより、わたしに向かって小さくうなずいたように見えた。もちろん、疲れた目の錯覚だろう。わたしは少し笑って、階段を下りた。
不思議なことに、そこから家までの道は、ずいぶん短く感じられた。
次の日の午後、わたしはもう一度あの坂道に行ってみた。夜に見たものが、本当にあったのかどうか、確かめたくなったのだ。
鳥居は、確かにそこにあった。ただ、昼の光の中では、昨夜よりもさらに小さく、古びて見えた。階段を上がると、提灯は下がっていたが、紙は色あせ、中には灯りを入れる場所さえないようだった。
「その提灯が気になりますか」
声のほうを見ると、近所の人らしいおばあさんが、ほうきを持って立っていた。この神社を毎朝掃除している人だという。
「昨日の夜、遅くにここを通ったんです。そのとき、灯りがついていたような気がして」
そう言うと、おばあさんは驚きもせず、ゆっくりうなずいた。
「ああ、ときどきそういう人がいるんですよ。終電に乗りそこねた人とか、遅くまで働いた人とか。この提灯はね、わたしが子どものころから、もう灯りはつかないんですよ。それでも、帰りの遅い人には、見えることがあるみたいで」
「誰がつけているんでしょうか」
「さあ。わたしにも、わからないんです」
おばあさんは、それ以上は何も言わず、また砂利を掃きはじめた。説明を求めても、きっと答えは増えないのだろう。わたしも、それ以上は聞かなかった。
帰り際、もう一度だけ振り返った。昼間の提灯は、ただの古い提灯にしか見えなかった。けれども、あの夜の光のあたたかさは、はっきり思い出せる。
それからも、残業で遅くなる日はある。終電に間に合わない夜は、今でも少し憂うつになる。ただ、あの夜以来、帰り道では少しだけ顔を上げて歩くようになった。歩いて帰る道のどこかに、小さな灯りがあるかもしれないと思うと、前ほど嫌ではなくなった。
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
「昼間なら、きっと見過ごしてしまうだろう」とは、どういうことですか。
The shrine is tiny and tucked between houses, so it is easy to miss. 「家と家のあいだに挟まれるように、石の階段が五、六段あるだけの、ごく小さな神社だった。」
Q2
おばあさんにそれ以上聞かなかったのは、なぜですか。
Asking for an explanation would not bring more answers. 「説明を求めても、きっと答えは増えないのだろう。」
Q3
次の日の午後、もう一度坂道に行ったのは、なぜですか。
The narrator wanted to confirm that what was seen at night was real. 「夜に見たものが、本当にあったのかどうか、確かめたくなったのだ。」
Q4
「それでも、帰りの遅い人には、見えることがあるみたいで」の「それ」は、何を指しますか。
It points back to the lantern no longer holding a light. 「この提灯はね、わたしが子どものころから、もう灯りはつかないんですよ。」
Q5
「前ほど嫌ではなくなった」とありますが、それはなぜですか。
The narrator thinks a small light may be somewhere along the road home. 「歩いて帰る道のどこかに、小さな灯りがあるかもしれないと思うと、前ほど嫌ではなくなった。」
Words in this story
Tab-separated, two columns. Paste into Anki.
終電 しゅうでん — last train 改札 かいさつ — ticket gate 商店街 しょうてんがい — shopping street 鳥居 とりい — shrine gate 参道 さんどう — approach path to a shrine 賽銭箱 さいせんばこ — offering box 砂利 じゃり — gravel 提灯 ちょうちん — paper lantern 錯覚 さっかく — illusion 色あせる いろあせる — to fade 見過ごす みすごす — to overlook 憂うつ ゆううつ — gloomy, depressed
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
に向かって(にむかって)
toward; facing
ゆれた、というより、わたしに向かって小さくうなずいたように見えた。
ことに
to my surprise/regret (emotion + koto ni)
不思議なことに、そこから家までの道は、ずいぶん短く感じられた。
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