The Passenger on the Recording
録画の中の客
タクシーの運転手になって、十五年になる。この仕事を続けていれば、変な客にも、変な夜にも慣れる。酔って眠ってしまう客、行き先を忘れる客、ずっと電話で泣いている客。たいていのことでは驚かなくなった。
あの夜までは、そう思っていた。
夜の街は、昼とはまったく別の顔をしている。人通りの絶えた道、赤信号で止まっている自分の車だけが、ぽつんと明るい。そんな景色にも、もう慣れたつもりだった。
先月、会社の方針で、全部の車にドライブレコーダーがつくことになった。前だけでなく車内も録画するタイプで、事故やトラブルのときの証拠になるという。正直なところ、わたしは気が進まなかった。客の顔や声が残ると思うと、見張られているようで落ち着かない。それでも、決まりである以上、従うしかなかった。
異変に気づいたのは、それから二週間ほどたった雨の夜だった。
明け方近くまで走って営業所に戻り、わたしはいつもの習慣で、その日の録画を確認した。事故もトラブルもなかった日でも、念のため、ざっと見ることにしている。早送りで画面を眺めていたとき、後ろの座席に誰かが座っているのに気づいて、手が止まった。
乗せた覚えはない。
その夜、わたしが乗せた客は三人だった。全員が男性で、どの人もちゃんとお金を払って、駅の近くで降りていった。女性を乗せた記憶など、どこを探しても出てこない。
その時間、わたしは空車で走っていたはずだ。巻き戻して、もう一度見た。午前二時十分。交差点の信号が赤になり、車が止まる。そのとき、いきなり、後部座席に人影が現れた。ドアが開いた様子はない。白っぽいコートを着た、髪の長い女性だった。うつむいていて、顔は見えない。
音量を上げると、雨の音にまじって、小さな声が聞こえた。
「そこを、まっすぐ」
画面の中のわたしは、何も言わずに、言われたとおり車を走らせた。ありえない。わたしにはそんな記憶がまったくない。まっすぐ、次を右、しばらく行って左。声は感情のない調子で、淡々と道を告げる。わたしはまるで操られているように、ハンドルを切り続けていた。
雨が強くなり、ワイパーの音だけが、一定のリズムで画面の中に響いていた。
見ているうちに、背中が冷たくなってきた。車が向かっている方向に、見覚えがあったからだ。
映像は、想像していた以上に鮮明だった。雨に濡れた街灯、閉まったシャッター、細い坂。車は一気に坂を上り、一軒の古い家の前で止まった。そこまで来て、わたしは息をのんだ。二十年前に亡くなった、母の家だった。今はもう誰も住んでいない。取り壊す話は何度も出たが、手続きが面倒で、そのままになっている。
母が亡くなったのは、わたしが運転手になる五年前の冬だった。連絡を受けたとき、わたしは遠い街で働いていて、最後の電車にも、最後のバスにも間に合わなかった。結局、病院に着いたのは、朝になってからだった。それ以来、急いでいる夜の客を乗せるたびに、胸のどこかが痛んだ。
いよいよ、女性が顔を上げた。ルームミラーに映ったその顔を見て、体から血の気が一気に引いていくのがわかった。
母だった。
それも、わたしの知っている母ではない。仏壇の写真にある、若いころの母の顔だった。
母は、ミラー越しにわたしの目を見て、小さく笑った。
「ここでいい。ここまで来るのに、二十年もかかっちゃった」
それから、少しだけ間を置いて、こう言った。
「運転、うまくなったね」
画面の中のわたしは、何も答えなかった。母がドアに手をかけたところで、映像は、いきなり、ざらざらしたノイズに変わった。次に画面が戻ったとき、後部座席には、わたし以外に誰もいなかった。
わたしは営業所の椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。外では、まだ雨が降っている。もう一度再生しようとしたが、その部分のデータだけが、どうしても開かなかった。
その日の朝、わたしは母の家に行ってみた。玄関の鍵は閉まっていた。ところが、縁側のガラス戸が、ほんの少しだけ開いていた。中をのぞくと、長い間誰も歩いていないはずの畳の上に、濡れた足あとが、一つだけ残っていた。
あれから、一か月がたつ。会社は何も言わないし、わたしも話していない。ただ、雨の夜に客を乗せるたびに、わたしはルームミラーを見るようになった。
先週、営業所で録画を確認していたら、画面の隅に、小さな文字が出ていた。日付も時刻もなく、ただ、短い言葉だけが。
「次は、わたしが乗る番」
どういう意味なのかは、まだわからない。わたしは今夜も、車を走らせている。後ろの座席のドアは、鍵をかけないままにして。
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
「わたし」が新しいドライブレコーダーに気が進まなかったのに、受け入れたのは、なぜですか。
He felt watched, but it was a company rule, so he had to follow it. 「決まりである以上、従うしかなかった」
Q2
録画を見て「わたし」が手を止めたのは、なぜですか。
A woman he did not remember picking up was in the back seat. 「乗せた覚えはない。」
Q3
車が進む道を見ているうちに、「わたし」の背中が冷たくなったのは、なぜですか。
The direction the car was heading looked familiar; it led to his mother's house. 「車が向かっている方向に、見覚えがあったからだ」
Q4
「わたし」が、急いでいる夜の客を乗せるたびに胸が痛んだのは、なぜですか。
He could not reach his mother before she died. 「最後の電車にも、最後のバスにも間に合わなかった」
Q5
「わたし」が最後に、後ろの座席のドアに鍵をかけないままにしているのは、なぜだと考えられますか。
After 「次は、わたしが乗る番」 he leaves it open on purpose, as if waiting for her. 「後ろの座席のドアは、鍵をかけないままにして」
Words in this story
Tab-separated, two columns. Paste into Anki.
慣れる なれる — to get used to 酔う よう — to get drunk 方針 ほうしん — policy 証拠 しょうこ — evidence 従う したがう — to obey, to follow 異変 いへん — something wrong, an abnormal change 確認 かくにん — to check, confirmation 巻き戻す まきもどす — to rewind 淡々と たんたんと — calmly, without emotion 操る あやつる — to control, to manipulate 鮮明 せんめい — clear, vivid 手続き てつづき — procedure, paperwork
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
いきなり
suddenly; out of the blue
そのとき、いきなり、後部座席に人影が現れた。
全く~ない(まったく~ない)
not at all (with negative)
わたしにはそんな記憶がまったくない。
以上に(いじょうに)
more than (expected)
映像は、想像していた以上に鮮明だった。
一気に(いっきに)
all at once; in one go
車は一気に坂を上り、一軒の古い家の前で止まった。
ままに
as one pleases; as (it) is
取り壊す話は何度も出たが、手続きが面倒で、そのままになっている。
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