Morning of the Bonito Shavings
削り節の朝
祖父が六十年続けてきた鰹節の店を年末で閉める、と母から電話があったのは十一月のことだった。
東京の食品会社で働くわたしは、三年ぶりに、港町にある実家へ帰った。仕事が忙しいばかりに、正月さえ帰らない年が続いていた。もっとも、帰らなかった本当の理由は別にある。子どものころ、わたしは店の手伝いが嫌でたまらなかった。朝は四時に起こされ、冬は指がかじかみ、服には一日じゅう魚の匂いがついた。高校を出るとすぐに町を離れたのも、そのせいだった。
店は商店街の端にある。看板の文字はすっかり薄れ、シャッターには「本日は休みます」と手書きの紙が貼ってあった。裏の戸を開けると、削りたての鰹節の甘くて深い香りが、昔のまま鼻に飛びこんできた。
作業場にいた祖父は、思っていたより小さく見えた。八十を過ぎて、腰も曲がっている。それでも、鰹節を手に取るときの目つきだけは変わっていなかった。
「来たか。店のことは、母さんから聞いただろう」
「うん。どうして閉めるの」
「手が言うことをきかなくなってきたんだ。それに、買う人も減った。今は出汁も袋から出す時代だからな」
祖父は笑ったが、その笑いはどこか寂しそうだった。子どものころは、毎朝店の前に近所の主婦や料理屋の人たちが並んだものだ。その行列がいつのまにか消えていたことに、わたしはそのとき初めて気づいた。
気がつくと、わたしは「一日だけ、削らせてくれない?」と言っていた。自分でも驚いた。祖父は少し黙ってから、奥の棚から古い鉋を出してきた。長年使いこまれた道具だけあって、木の台は手の形にへこんでいる。
「削るだけなら、誰にでもできる。だが、いい削り節になるかどうかは別の話だ」
翌朝、四時に起きて鉋を握った。祖父が横で見ているのに、鰹節は思うように削れない。刃の出し方が深すぎたせいか、粉のようなかけらばかりが出てくる。刃を直しては削り、削っては直すうちに、気がつけば昼を過ぎていた。何度もやり直したあげく、手のひらにはまめができてしまった。ようやく一枚の薄い花びらのような削り節ができたのは、夕方だった。
祖父はそれを光にかざし、指でそっとつまんだ。
「悪くない。ただ、最初の刃の調整を急いだばかりに、半分は無駄になった。急ぐと、いい節ほど台なしになる」
「わかってるけど、時間がなかったから」
「時間がないのは、お前ではなくて、この店のほうだ」
祖父はそう言って、また鰹節に目を落とした。わたしは何も言い返せなかった。
二日目の昼過ぎ、背広を着た男の人が店に入ってきた。駅前の老舗旅館で働く料理人だという。
「やっぱり、六十年続いた店だけあって、ここの節は香りが違いますね。閉めると聞いて、ありったけ買いに来ました」
祖父は照れたように、ただうなずいた。料理人は帰り際、わたしが削った節を指さした。
「これ、味見させてもらえますか」
湯を沸かして出汁をとると、台所に静かな香りが広がった。ひと口飲んだ料理人は、「素人の削りとは思えない。もちろん、お祖父さんのには及びませんが、いい出汁です」と言った。祖父は何も言わず、自分の湯のみに出汁を注いだ。長い沈黙のあと、「雑味はあるが、まっすぐな味だ」とだけ言った。
その夜、祖父は初めて、店を閉める本当の理由を話してくれた。
「お前に継げと言わなかったのは、継がせたくなかったからじゃない。この仕事は、好きでないと続かない。好きでもないのに無理に続けたあげく、店も人も嫌いになった人を、何人も見てきた」
わたしは返事ができなかった。窓の外では、港に泊まった船の灯りが静かにゆれていた。あのとき意地を張ったばかりに、祖父と話す機会をずっと逃していたのだと、そのとき初めて気づいた。
朝の仕事が嫌いだったはずなのに、鉋を握った二日間は、不思議と一度も嫌だと思わなかった。むしろ、削りたての香りに包まれて、子どもに戻ったような気さえした。
東京へ戻る日、祖父は紙袋を渡してくれた。中には、小さな鉋と、削った節が一袋入っていた。
「年末までは店を開ける。気が向いたら、また削りに来い」
「次は、ちゃんと刃を調整してから削るよ」
そう答えると、祖父は初めて声を出して笑った。
電車の中で袋を開け、匂いをかいだ。店を継ぐかどうかは、まだ決めていない。ただ、週末ごとにこの町へ通うことになりそうな予感がした。
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
「わたし」が高校を出るとすぐ町を離れたのは、なぜですか。
She hated helping at the shop as a child. 「子どものころ、わたしは店の手伝いが嫌でたまらなかった。」
Q2
祖父が店を閉める理由として、最初に話したのは何ですか。
His hands no longer obey and fewer people buy. 「手が言うことをきかなくなってきたんだ。それに、買う人も減った。」
Q3
「時間がないのは、お前ではなくて、この店のほうだ」とは、どういう意味ですか。
Since the shop will soon close, she should not rush and waste good bonito. 「時間がないのは、お前ではなくて、この店のほうだ」
Q4
祖父が「わたし」に店を継げと言わなかった本当の理由は、何ですか。
He had seen people forced to continue a job they did not love. 「好きでもないのに無理に続けたあげく、店も人も嫌いになった人を、何人も見てきた」
Q5
最後の場面の「わたし」の気持ちに最も近いのは、どれですか。
She has not decided to inherit it, but senses she will keep visiting. 「店を継ぐかどうかは、まだ決めていない。」
Words in this story
Tab-separated, two columns. Paste into Anki.
鰹節 かつおぶし — dried bonito 削る けずる — to shave 鉋 かんな — plane (tool) 出汁 だし — soup stock 老舗 しにせ — long-established shop 料理人 りょうりにん — cook, chef 行列 ぎょうれつ — line of people 雑味 ざつみ — off-taste, harshness 素人 しろうと — amateur 無駄 むだ — waste 台なし だいなし — ruined 意地を張る いじをはる — to be stubborn
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
ばかりに
solely because of; (bad result) just because
仕事が忙しいばかりに、正月さえ帰らない年が続いていた。
もっとも
although; but then again (sentence start)
正月さえ帰らない年が続いていた。もっとも…
てたまらない
can't stand; extremely
子どものころ、わたしは店の手伝いが嫌でたまらなかった。
だけは
at least this much; as far as this goes
それでも、鰹節を手に取るときの目つきだけは変わっていなかった。
ものだ
used to; it's the way things are (nostalgia, general truth)
子どものころは、毎朝店の前に近所の主婦や料理屋の人たちが並んだものだ。
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