The Watch That Stopped
止まった時計
町の外れで時計の修理店を営んで、四十年になる。客は多くない。祖父の代から使っている作業台に向かい、拡大鏡を目に当てて、小さな歯車と静かに付き合う。それが私の仕事のすべてだ。
その女の人が初めて店に現れたのは、十年前の十月三日のことである。灰色のコートを着た、七十がらみの上品な人だった。差し出されたのは、銀の懐中時計だった。
「止まってしまったのです。直していただけますか」
蓋を開けると、針は三時十七分を指したまま動かない。ぜんまいも歯車も傷んではいなかった。埃を払い、油をさして軽く振ると、時計は何事もなかったように動き出した。女の人は深く頭を下げ、代金を置いて帰っていった。
代金は、いつも封筒に入れて、きちんと揃えてあった。釣り銭の要らない額である。それが彼女の礼儀なのだと、私はすぐに察した。去り際に、彼女はいつも店の壁の古時計を、懐かしそうに見上げていった。
ところが、翌年の十月三日、その人は同じ時計を持って、また現れた。針は、やはり三時十七分で止まっていた。壊れる理由に見当がつかない時計が、一年に一度、決まった日の決まった時刻に止まる。私は首をかしげながら、去年と同じように直した。
三年目には、さすがに気になって、店の奥で一晩、その時計を預かることにした。作業台の上に置き、夜通し見張った。時計は三時十七分を過ぎても、何ごともなく時を刻み続けた。安心して朝を迎え、取りに来た女の人が竜頭に触れた、まさにその瞬間である。針がぴたりと止まった。時刻は、三時十七分だった。
「やはり、そうですか」
女の人は、驚いた様子もなく、小さく笑った。私は理由を尋ねようとして、口を閉じた。尋ねれば、この人はもう来なくなるかもしれない。そんな気がしたのだ。以来、私は敢えて何も聞かないことにした。
実を言えば、私にも、止まったままの時計がひとつある。十五年前に亡くなった妻の腕時計だ。引き出しの奥にしまったきり、一度も巻いたことがない。直す腕はあるのに、直す気にはなれなかった。人の時計ばかり直している自分を、おかしいと思うこともある。だからこそ、あの人の事情を無理に聞き出す気にはなれなかったのだろう。
それからは、毎年、十月に入ると、私はあらかじめ作業台を片付け、細かい工具を並べておくようになった。三日の朝、案の定、灰色のコートの人は店の戸を押した。私たちは天気の話と、庭の柿の実の話だけをした。時計の話は、ほとんどしなかった。それでも、その短い時間を、私はいつしか心待ちにしていた。
五年目の十月は、大型の台風が町を直撃した。川は溢れ、バスも電車も止まった。これでは来られまいと思っていたが、案の定、昼前に、ずぶ濡れのコートが店の軒先に立っていた。
「歩いていらしたのですか」
「ええ。この日だけは、どうしても」
私はタオルを渡し、ストーブに火をつけた。女の人は、濡れた手でそっと時計を差し出した。針は、もちろん三時十七分で止まっていた。
一度だけ、女の人のほうから切り出したことがある。
「ご主人は、不思議だと思わないのですか」
「思いますよ。ただ、不思議なものを不思議なままにしておくのも、悪くないと考えています」
「そう言っていただけると、助かります」
「実は、この時計が止まる理由には、心当たりがあるのです。お聞きになりたければ」
私は、敢えてその先を遮った。
「今日は、柿の話を聞かせてください。理由は、お話しになりたくなった日に、お聞きしますよ」
女の人は少し驚いた顔をして、それから、ほっとしたように頷いた。
彼女はそれ以上、何も語らなかった。ただ、湯のみを両手で包むようにして、窓の外の柿の木を長いあいだ眺めていた。
そして十年目の今年、私はいつものようにあらかじめ作業台を整え、三日の朝を待った。ところが、いくら待っても、灰色のコートは現れなかった。昼を過ぎ、夕方になっても戸は開かない。店を閉めようとしたとき、ようやく一人の青年が、息を切らして入ってきた。
「遅くなって、すみません。祖母から、ここへ届けるように頼まれていたのです」
青年が差し出したのは、あの銀の懐中時計だった。しかし、針は止まっていない。三時十七分はとうに過ぎ、時計は静かに時を刻んでいる。
「祖母は先月、亡くなりました。この時計は祖父の形見で、祖父が亡くなったのが、十月三日の午前三時十七分だったそうです。祖母は、毎年その日になると、時計が止まってしまうのだと話していました。直してくれる職人がいて、その人に会いに行くのが、一年でいちばんの楽しみだとも」
私は時計を受け取り、掌に載せた。軽いはずの銀が、ひどく重かった。
「祖母は、遺言のように言っていました。もし自分がいなくなっても、この時計はもう止まらないはずだ、と。止まらなければ、あの職人さんは、きっとすべてをわかってくれる、と」
私は何も答えられなかった。やはり、そうだったのか。止まっていたのは、時計ではなく、あの人の時間のほうだったのだ。そして十年かけて、彼女は少しずつ、それを動かしていたのかもしれない。
青年が帰ったあと、私は時計を作業台の中央に置き、あらかじめ用意していた湯のみに茶を注いだ。誰のためでもない、二杯目の茶である。夜が更け、日付が四日に変わっても、時計は静かに動き続けていた。
翌朝、店の壁に掛けた十数個の古時計が、いっせいに止まった。針はどれも、三時十七分を指している。私は慌てなかった。きっと一分間だけのことだ。そう信じて、湯のみを持ち上げ、窓の外の柿の木を眺めた。やがて、すべての針がそろって、ふたたび動き出した。
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JLPT-style reading questions. Pick the best answer.
Q1
「敢えて何も聞かないことにした」のは、なぜですか。
He feared that asking would make her stop visiting. 「尋ねれば、この人はもう来なくなるかもしれない。」
Q2
「あらかじめ作業台を片付け」たのは、なぜですか。
He prepared for her yearly visit, which he looked forward to. 「その短い時間を、私はいつしか心待ちにしていた。」
Q3
台風の日に「案の定」と言っているのは、どういう意味ですか。
He thought she could not come, yet she did, as he half expected of her. 「来られまいと思っていたが、案の定、…コートが店の軒先に立っていた。」
Q4
青年の話によると、三時十七分は何の時刻ですか。
It is the time his grandfather died. 「祖父が亡くなったのが、十月三日の午前三時十七分だったそうです。」
Q5
「止まっていたのは、時計ではなく、あの人の時間のほうだったのだ」とは、どういうことですか。
Her grief had stopped time for her; the watch only reflected it. 「止まっていたのは、時計ではなく、あの人の時間のほうだったのだ。」
Words in this story
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懐中時計 かいちゅうどけい — pocket watch 竜頭 りゅうず — crown (of a watch) 営む いとなむ — to run (a business) 歯車 はぐるま — gear, cogwheel 敢えて あえて — deliberately 案の定 あんのじょう — just as expected 形見 かたみ — keepsake 遺言 ゆいごん — last words, will 遮る さえぎる — to cut off, interrupt 見張る みはる — to keep watch 瞬間 しゅんかん — moment 職人 しょくにん — craftsman
Grammar review
Patterns from this story. Find them again as you reread.
敢えて(あえて)
deliberately doing something hard or unusual
以来、私は敢えて何も聞かないことにした。
あらかじめ
in advance; beforehand
私はあらかじめ作業台を片付け…
案の定(あんのじょう)
just as expected
三日の朝、案の定、灰色のコートの人は店の戸を押した。
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